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女性について、Oshoからの引用

女性は、ずっと抑圧されてきた

 「男性は、何千年も女性を支配してきた。彼は、すべての機会とチャンスを与えられ、女性はずっと抑圧され、不具にされてきた。女性は、人生で男性と肩を並べて競い合うことが許されてこなかった。ゆえに、どれくらいの女性のゴータマブッダが開花する機会を得られなかったのかわからない。どれくらいの数のアルバートシュタインが、成長の機会を完全に拒まれてきたのかもわからない。

 詩や音楽、ダンスといったジャンルのものですら、男性に支配されてきたのはとても奇妙だ。世界で偉大なダンサーは、ずっと男性だったし女性ではない。実際、女性はどの男性よりも抜きんでているはずだった。しかし、人には機会が必要だ。教育が必要だ。訓練が必要だ。もし、あなたが教育と訓練、専門教育への道をすべての女性に閉ざすなら、あなたは社会全体を、そして全世界を、不必要なほどに貧しいものにしている。

 私が強調するのは、女性に敬意を示す、ということだ。そして、平等は、男性に対立するものではない。世界は、あなたがたどちらにも属している。あなたがたどちらも、一緒に、できる限り、この世界を美しく神聖なものにしなければならない。男性だけで、戦争を生み出してきた。3千年の間に、5千もの戦争があった。人生は、ただ戦うためだけのものなのだろうか? 人生は、ただ殺したり殺戮したりレイプしたりするためのものだろうか?歴史全体が殺人でいっぱいだ。そしてこれらの殺人者を、あなたは偉大な人物と呼んでいる」

Osho, Sat-Chit-Anand: Truth-Consciousness-Bliss, 26より抜粋

 

 

女性は、すべての自由を与えられるべき

 「もし世界中の女性に、その可能性を伸ばす自由が与えられたなら、実に多くの女性が光明を得るだろう。きわめて、多くの女性が、神秘家になり、詩人や画家になる。そして女性たちは、自分たちの世界を向上させるだけでなく世界はひとつだから世界全体を向上させるだろう。女性たちはまた、男性にも新しい次元を与えるだろう、なぜなら、女性のものの見方は違うからだ。男性は、ものごとをある方向から見ている。女性は、違う視点から見ている。人生はさらに豊かになるだろう。

 女性が個人として自立するためのすべての自由と平等な機会を与えられることは、男女どちらの向上にもつながる。それから、ユーモアのセンスがある。そして、女性は、男性より優雅に笑うことができるし、女性なら十分にそれができる。しかし、それは抑圧され、非難され、批判されている。女性は、ユーモアのセンスを示すことなどとてもできそうにないほど、惨めな人生を送ってきた。

 しかし、その日はそんなに遠くはない……そのとき、地球全体は笑いでいっぱいになるだろう。戦いについて話すよりも、世界中で政治家がスピーチをするよりも、何も知らないおろかな聖職者が説教を行うよりも、すべての男性、すべての女性が、人生の笑わずにいられない面を知って、それを楽しむことのほうが、はるかに良いだろう」

Osho, The New Dawn, 31より抜粋

 

 

キリスト教は、何千人もの賢女を破滅に追いやった

 「キリスト教は、何千もの賢女を破滅に追いやり、生きたまま焼いた。「魔女」という名前でさえ、とても非難された。それは、「賢女」を意味し、他にはなんの意味もないのだが。そして、同じことが東洋でもおこった。すべての宗教が女性に多くのものを禁じた。そしてその理由が大きな恐怖にあることをわたしは知ってる。もし、男性に与えられたのと同じ機会を女性に与えられるならば、女性は神の経験ではるかに先を行くだろう。そしてそれが、男性のエゴに対立するのだ」

Osho, The Hidden Splendor, 22 より抜粋

 

 

人類の半分は、意識の向上の機会を奪われている

 「男性は、女性を叩き、抑圧し、非難してきた。そして、女性を非難したり抑圧することが彼らを劣等にしていること、人類の半分が意識の向上を奪われていることをわかっていない。そして、あなたは奪われている。なぜなら、あなたもその宇宙の半分から上昇し向上するというアートを学ぶこともできたからだ。あなたもまた、同じ道、同じ過程をたどることができたはずなのだ。だからわたしは、いつもこう言う。女性の解放はまた、男性の解放だ。それはむしろ、女性の解放よりも男性の解放なのだ」

Osho, Socrates Poisoned Again After 25 Centuries, 21より抜粋

 

 

女性が解放されない限り、男性は決して解放されることはない

 「わたしは始めて、女性を男性と同等だと受け入れた。わたしは女性解放に賛成する。女性が解放されない限り、男性の解放はないからだ。この男女の解放は、同時だ。なぜなら、それらは同じコインの両面だからだ。当然のことだが、より多くの女性がここにやってくる。というのは、何世紀にも渡り、女性は否定され、侮辱され、男性と同等に受け入れられることがなかったからだ。当然、さらに多くの女性がここにやってくるだろう。——そして女性が男性と同等だと受け入れる準備のある男性だけがここにやってくる。どんな性差別主義者の男性も、わたしの周りにとどまることはできない。ここは、男女同等の尊厳を持つ、全員が平等の家族だ。

 もし、女性が過去に敬意を払われていたなら、人類は今日のような大きな混乱にはならなかっただろう。なぜなら、女性は、人類の半分を占めるからだ。人類の半分が、尊厳を持たずに、教育もされずに、すべての自由や行動を奪われてきた。わたしたちは、自らに制約を課し、不利な立場に追いやってきた。わたしたちは、自分たちの半分を破壊してきた。わたしたちが惨めであるとしたら、誰が責められるべきだろうか?

 わたしは、完全に女性の解放に賛成する。しかし、女性解放運動のようなやり方によってではない。それは反動的な姿勢をとっている。それは真の革命ではない。それは男性の真似をしようとしている。そして、覚えておくとよい。真似は、決して女性を男性と同等にはしない。真似は、せいぜいあなたをコピーにするだけだ。しかし、オリジナルはどこまでいってもオリジナルだ」

Osho, Socrates Poisoned Again After 25 Centuries, 7 より抜粋

 

 

男性は、大きな劣等感に苦しんでいる

 男性は、大きな劣等感に苦しんでいる。なぜなら、子どもが産めないからだ。これは、男性の最も奥深い無意識のなかにある劣等感のひとつだ。男性は、女性が自分よりも優れていることを知っている。なぜなら、人生において、命を生み出すことほど優れているものはないからだ。

 男性の機能、命を生み出すことへの男性の関与は、取るに足りない。それは、せいぜい注射のようなものだ。それは、注射器でもできる。つまり、男性はいっさい生殖に参加しなくてもかまわないわけだ。男性は、当初からそれを感じていたに違いない。この劣等感に打ち克つ唯一の方法は、女性をあらゆるやり方でおとしめて、男性の下位に位置づけることだ。そうすることで男性は、劣等感を忘れることができ、自分のほうが優勢だと信じるようになる。

 世界中のすべての社会、すべての文化、すべての宗教は、やり方は違っても同じことをやっている。つまり、女性を人類の二流のカテゴリーに降格させて、男性と同等に扱わないのだ」

Osho, The Sword and the Lotus, 17 より抜粋 15

 

 

女性は、奴隷にされてきた

 ほとんどすべての宗教は、女性が、自らの肉体から楽園に入る可能性を否定した。女性は、高潔になりうる。夫は、彼女の神だ。女性は完全に全面的な献身と愛情で夫に尽くさなければならない。これが女性にとっては唯一の宗教なのだ。これによって、彼女は来世で男性の肉体に入るだろう。そこでようやく扉が開かれる。そうなれば、彼女は精神的な高みを目指すことができる。そして、彼女は光明を得たマスターになることができる。

 女性が宗教的な聖典を読むことを許していない宗教もある。女性が寺院に入ることを許していない宗教もある。女性は、奴隷にされてきた。女性は一生、子どもをつくり、その世話をすることを強いられてきた。女性は、人間として敬意を払われるべきでない。女性は、ただの生殖機能にすぎない。

 男性は、手当たりしだい間違ったことをやってきた。ありとあらゆる非人間的なことを。ヒンズー教では、夫が亡くなったら、女性は、夫の火葬用の薪の山に生きたまま飛び込まなくてはならない。これが、なにか宗教的なものと考えられてきた。これは、正真正銘の殺人だ。とても残虐で野蛮な殺人だ。何千年もの間、それはきわめて宗教的なものだった。しかし、おかしなことに、男性はこのような大変に宗教的なことをだれもやらなかった。長い歴史のなかで、死んだ妻の火葬の薪に飛び込んだ男性はひとりもいない。女性のために作ったルールを自分に課したバラモン(カーストの最高位)は誰もいない。もしそれが正しいものなら、男性が女性と同じことをしたとしても、それほどおかしなことではないのではなかろうか?

Osho, The Sword and the Lotus,17 より抜粋

 

 

男性と女性の違いは、少ししかない

「男性と女性の違いの大半は、何千年にも渡る条件付けのせいだ。それらは自然に元々あるものではない。しかし、男女を独特な美しいもの、個性的なものにしている、いくつかの違いがある。そのような違いはとても簡単に数えあげることができる。

 ひとつには、女性は命を産むことができるということだ。男性はできない。その意味では、男性は劣っている。その劣等意識が、男性による女性の支配で大きな役割を果たした。この劣等感は、このように働く。それは、自分が優位な立場にいるふりをする——自分自身をだまし、全世界をだますために。そうすることで、男性は昔から女性の特質や才能、能力を破壊してきた。つまり男性は、自分のほうが優れていると、自分に対して、そして世界に対して証明できるからだ。女性は出産するので、9ヶ月からそれ以上の間、女性はとても脆弱であり、男性に依存する。男性は、このことをとても醜いやり方で利用した。それは、生理的な違いだ。実際にはなんの違いもない。

 女性の心理は、男性が真実ではないことを言うのでゆがめられている。それが女性を男性の奴隷にし、女性を世の中で二級市民におとしめている。そしてその理由は、男性のほうが筋骨たくましくパワフルだからだ。しかしこの筋肉質のパワーは、動物性の一部だ。もしこのパワーが優劣を決めるならば、どんな動物も人間よりはたくましい」

Osho, The Sword and the Lotus, 5 より抜粋

 

 

女性はひとつの愛で満足できる

 「しかし、男性と女性の真の違いは、たしかにある。わたしたちは、でっち上げられた違いの山の背後から、それらを見つけ出さなければならない。わたしが認識している一つの違いは、女性は男性よりも愛する力があるということだ。男性の愛は、少なくとも肉体的な必要がある。一方で、女性の愛は、それとは違う。それはもっと大きく、高い。精神的な経験なのだ。だから、女性は一夫一婦的で男性は一夫多妻的なのだ。男性は、世界中のすべての女性がほしい。それでもまだ男性は満足していない。彼の不満は、無限大だ。

 女性は、一つの愛で満足できる。完全に満たされる。なぜなら、女性は男性の肉体を見ていないからだ。女性は、男性の内なる質を見ている。女性は、美しい筋肉質の肉体を持った男性とは恋に落ちたりはしない。彼女は、カリスマ性を持った、つまり言葉にできないが、魅力的な何かを持ち、探求したくなる神秘的なものをもつ男性と恋に落ちる。彼女は、自分の恋人がただの男性ではなく、意識を発見する冒険者であって欲しいのだ。

 男性はセックスに関する限りとても弱い。彼は、ただひとつのオーガズムしかもてない。女性は、それよりもはるかに優れている。彼女は、複数のオーガズムをもてるのだ。そしてこのことが、もっともやっかいな問題のひとつとなってきた。男性のオーガズムは、生殖器に限定される局所的なものだ。女性のオーガズムは、生殖器だけに限定されるのでなく全体的だ。彼女の全身がセクシャルだ。女性は、男性が体験できるより何千倍も大きくて深く、豊かで満たされた、美しいオーガズムの体験ができる。

 しかし、悲劇的なことに、彼女の全身が興奮しなければならない。そして男性は、それには興味がない。彼は、決してそれには興味がない。彼は、ただ自分のセックスの緊張を和らげるために、女性をセックスの道具として使う。彼はすぐ数秒以内に終わってしまう。そして彼が終わったころ、女性はまだ始まってもいないのだ」

Osho, The Sword and the Lotus, 5 より抜粋

 

 

女性は、複数のオーガズムの能力を持つ

 「愛が起こるとき、その愛には美しさがある。愛を無理やり起こさせようとするとき、それは醜いものになる。

 あなたが、男性上位でセックスをするとき、それは正常位として知られている。東洋の人たちは、この醜さに気がついた。男性は女性よりも重く、背も高く、筋肉もある。男性は、デリケートな存在を押しつぶしているのだ。東洋では、やり方はつねに反対だった。女性が上位になる。男性の体重に押しつぶされては、女性は身動きがとれない。男性が動くだけだと、彼は直ちにオーガズムに達して、女性は涙にくれることになる。彼女は、パートナーなのに、そこに参加していなかった。彼女は、使われたのだ。

 女性が上位になると、彼女はもっと動ける。男性は、より少ない動きになる。それによって、お互いのオーガズムはより近くなるだろう。そして両方がオーガズムを経験するとき、それは何か別の世界のものだ。それは、サマディの一瞥だ。それは、男性が、自分は体ではないと知る最初の一瞥だ。彼は、体を忘れている。彼は、世界を忘れている。男性も女性も、いまだかつて探求したことのない新しい次元に入ることになる。

 女性は、複数のオーガズムの能力を持つ。だから、男性は、できるだけゆっくりにならなければならない。しかし実際は、彼はすべてにおいて急いでいて、関係性全体を壊してしまっている。彼は、とてもリラックスしなければならない。そうすることで、女性は複数のオーガズムを得ることができる。彼のオーガズムは、女性のオーガズムがピークに達したとき終わるようにしなければならない。それは、言うまでもないことだ」

Osho, The Sword and the Lotus, 5 より抜粋

 

男性は恐れている

 「女性は、男性よりももっと中心に据わっている。彼女は、もっと穏やかで、静かで、忍耐強く、待つことができる。たぶん、これらの質のおかげで、女性は病気に対する抵抗力があり、男性よりも長生きする。穏やかさのおかげで、女性は、男性の人生をこの上もなく満たすことができる。女性は、男性の人生をとても穏やかで心地よい雰囲気で満たすことができる。

 しかし、男性は恐れている。彼は、女性によって囲いこまれたくない。彼は、自分の周りに心地よい暖かさをつくらせようとしない。彼は、そのようにして自分が依存してしまうことを恐れている。だから、永きに渡って、男性は女性と距離を置いてきた。男性が恐れるのは、自分よりも女性の方が上だと深いところで知っているからだ。女性は、命を生み出すことができる。自然は、女性が生殖できることを選んだ。男性ではない。

 男性の生殖機能は、ほとんどゼロに近い。この劣等意識が、大きな問題を生み出した。男性は、女性の翼を切り始めたのだ。男性は、あらゆるやりかたで女性を支配し始め、非難しはじめた。そうすることで、かれは少なくとも自分が優れていると信じることができた。男性は、女性を牛、いやそれ以下に扱った。中国では、何千年もの間、女性は魂を持っていないと考えられてきた。だから、夫は彼女を殺すこともできたし、法律は、それを邪魔しなかった。女性は夫の所有物だった。もし、夫が自分の家具を壊したかったら、それは違法ではない。もし彼が自分の女性を殺したかったら、それは違法ではない。女性には魂がない、これは究極の侮辱だ」

Osho, The Sword and the Lotus, 5 より抜粋

 

男性は、女性から奪っている

 「男性は、女性から教育と財政的な独立を奪っている。男性は恐れているので、女性から社会的な移動の自由を奪っている。

 男性は、女性のほうが優れていることを知っている。男性は、女性が美しいことを知っている。男性は、女性に独立心を与えると危険が生じることを知っている。だから、何世紀も女性が独立することはなかった。

 イスラムの女性は、自分たちの顔すら隠さなければならない。そのために、夫以外は、だれも彼女の美しい顔を見たり、目をのぞき込んだりできない」

Osho, The Sword and the Lotus, 5 より抜粋

 

 

人類の半分が、屈辱的な状態にある

 「男性は、永い間女性を支配している。そして女性は、よりか弱い存在で、男性のできることもひとつもできない、という考えを彼女たちに押し付けている。女性たちは、小さな家庭的なことならできる。それが、彼女たちの世界だ。わたしは、この考えをすべて払拭したい。

 そしてこれは奇妙なやり方だ。つまり、人類の半分を虐げられた状態におくということ。損失はいくらになるのだろう? 人類の半分が、つまり女性が、もし男性と平等であると受け入れられていたら、彼女たちは、ドストエフスキーやツルゲーネフ、チェーホフ、ゴーリキー、ヴァン・ゴッホ、ピカソやニジンスキーを輩出していただろう。女性は、仏陀やジーザスのような人になっていたかもしれない。人類の半分だ!それは、広大な海なのに、あなたはその人たちの創造と表現のすべての可能性を否定した。そしてあなたは、あたかも彼女たちが牛、人間でないかのように扱った」

Osho, The Last Testament, Vol.1,19より抜粋

 

 

女性の隷属は、すなわち男性の隷属だ

「女性の解放は、すなわち男性の解放だ。女性の隷属は、すなわち男性の隷属だ。それらは表裏一体だ」

Osho, The Last Testament, Vol. 1 より抜粋

 

 

少年は、いつまでたっても少年だ

 「OSHO, わたしは妻以外の女性に興味をもつのですが、妻がほかの男性に興味を示すと、とても嫉妬してしまいます。ひどい嫉妬の炎を燃やすのです」

 

 「男性は、いつも好きなことをしているのに、女性の邪魔をする。男性は、女性を家の四方の壁のなかに閉じ込め、自分たちには自由を許している。しかしそういう時代は、もう終わった。いまや女性は、あなたと同じように自由なのだ。もしあなたが嫉妬にかられたくなかったら、二つの方法しかない。ひとつは、自分自身が欲望から自由になることだ。欲望がなければ、嫉妬も残ることはない。そしてもう一つの方法は、もしあなたが、欲望から自由になりたくないのなら、そのときは少なくともあなたがもっている同じ権限を一方のひとにも与えなさい。そのためには、大変な勇気が必要だ。わたしは、あなたが欲望から自由になってほしい。

 もしあなたが、ひとりの女性を知っているなら、あなたはすべての女性を知っている。もしあなたが、ひとりの男性を知っているのなら、あなたは、すべての男性を知っていることになる。そうなると、その違いは、ただ表面だけにすぎない。一人の女性を知っているが、すべての女性を知っていない人がいたら、彼は無意識に生きていると見てかまわない。たとえ数え切れないほどの女性を知っても、彼は知ることはできない。彼は決して知ることはないだろう。知ることは、気づきを通して起こるが、彼は無意識だからだ。彼は、女性を追い続ける、こちらを捨て、あちらを追いかける。

 あなたが(嫉妬の炎で)燃えても何の不思議もない。なぜなら、それは男性のエゴを傷つけるからだ。あなたは、ほかの人の女性に興味を持ち、それに対してなんの問題もないと考えるのはまったくかまわないと考える、なんの問題もないと。『少年は、いつまでたっても少年だ』と言われる。男性が、こういうことわざを作った。なぜなら、作ったのは、男性が一人の女性で満足せず、多くの女性が欲しいが、女性はただひとりの男性で満足する、と彼らが考えているからだ。これらはただ、男性のトリックにすぎない。女性は、一人の男性で満足すべきで、そしてそれは自分なのだと! しかし、自分はどうだ?どうやって一人の女性で満足できる? 自分は男性だ。男性には、もっと多くの自由があるべきだ、とあなたは考える。

 あなたの妻には、あなたが欲しがっているのと同じだけの自由を求める権利がある。そしてもしあなたが、いいや、妻が他の男性に興味を持つのは正しくない、と考えるのなら、そのときには、あなたが他の女性に興味をもつことも正しくないことになってしまう。あなたは自分が妻に期待したのと同じようになるべきだし、同じように行動すべきだ。そのときだけ、あなたには、なんらかの権利を持つことができる」

Osho, Die O Yogi Die, 8 より抜粋

 

 

よりよい世界では、男性は女性でもあり、女性は男性でもある

 男性は、ただ男性であれと教えられてきた。女性的な質やハートの繊細さ、そして受容性を表に出さないよう、いつも攻撃的であれ、と教えられてきた。男性は、決して泣かず、めそめそしないよう教えられてきた。なぜなら、涙は女性的なものだからだ。

 女性は、とにかく男性のようになってはいけないと教えられてきた。決して攻撃性を見せたり、表現してはいけないし、いつも受容的であれと教えられてきた。これは実態に反する。このことが、両方の性を損なってきた。

 よりよい世界では、よりよい理解のもと、男性は両性で、女性も両性だ。なぜなら、男性はときどき女性になることが必要だからだ。男性にもソフトになるべき瞬間がある、やさしい瞬間や、愛の瞬間が。そして女性にも表現し、攻撃的になるべき瞬間がある。怒ったり、守ったり、反逆したりする。女性がただ受身的なだけだと、無意識のうちに男性に隷属してしまうだろう。受身的な女性は、男性の奴隷にならざるをえないし、それはずっと昔から起こってきたことだ。そして攻撃的な男性は、ただひたすら攻撃的で、決してやさしくなることはなく、結果として世界中に戦争や神経症、暴力を生み出すことになる。

 男性は、戦ってきた。ひっきりなしに戦ってきた。あたかも、男性はただ戦うためだけに地球に存在しているかのようだ。3千年の間、5千の戦いがあった。戦いは、あちらこちらで続いていて、地球が一つになり健全になったことは一度もなかった……戦いがなかった瞬間はなかった。朝鮮半島であろうと、ベトナムであろうと、イスラエル、インドやパキスタンであろうと、バングラディッシュであろうと、とにかくどこかで殺戮が続くことになる」

Osho, The Heart Sutra, 3 より抜粋

 

子宮は、女性の体の中心的な現象だ

 「最初に理解すべきことは、男性と女性は、違うということだ。違うだけでなく、対極なのだ。しかし、彼らは不平等ではなく、彼らは平等だ。違いがあり、反対のものがあり、極性があるが、彼らは不平等ではない、彼らは平等だ。二つの正反対のものは、いつも平等だ。そうでないと、互いに対立しあうことができない。

 ふたつめに理解すべきことは、女性の体は、生物学的にも生理学的にもそして化学的にも、まったく違った目的で存在しているということだ。女性の体は、男性の体とは違った機能を果たしている。男性の体とはまったく違うので、その生物学的により深い層に入りこまない限り、その違いを理解することはできない。男女は、あたかも二つの違った世界に存在しているようなものだ。

 女性は、子宮を持っている。「女性」(woman)という言葉は、子宮を持つ男性(man with a womb)を意味する。そして子宮は、とても重要だ。子宮よりも大切なものはない。なぜなら、新たな生命は、そこを通ってやってくるからだ。生命の躍動的な現象はすべて、子宮を通してやってくる。子宮は、この世界への扉なのだ。子宮があるがゆえに、女性は受容的にならなければならず、攻撃的になりえない。子宮は、攻撃的になりえないのだ。子宮は受け取らなければならないし、開かれていなければならないし、未知なるものを招かなければならない。子宮は、ホストでなければならず、男性はそのゲストなのだ。

 子宮が女性の中心的現象なので、女性の心理全体は異なる。女性は、非攻撃的で、探究心をもたず、問いかけず、疑うこともない。なぜなら、これらのすべては、攻撃的な質だからだ。男性は、疑い、質問し、探求をはじめる。女性は、待つ。男性は、女性を探し始める。女性は、主導権を握らない。女性は、ただ待つ。女性は、ずっと待ち続けることができる」

Osho, The Mustard Seed,18 より抜粋

 

女性の見方は、とても自然だ

 「女性は、待つことができる。女性たちは、ずっと待ち続けることができる。その忍耐強さは、限りない。それは当然のことだ。なぜなら、子どもは、9ヶ月の間子宮にいなければならない。日々、それは重く、重く、そしてますます困難になる。あなたは、忍耐強く、そして待たなければならない。それについては、なにもできることはない。あなたはその抱えているものが重荷であっても、愛さなければならないし、子どもが生まれてくるのを待って、夢みなければならない。

 母親を、まさに母親になろうとする女性をみなさい。彼女は、もっと美しくなる。なぜなら、彼女が待っているときに花開くからだ。まさに母親になろうとするとき、彼女は、違ったタイプの優雅さに到達し、周囲にオーラを放つようになる。なぜなら、彼女はまさに頂点にいるからだ。自然が彼女の体に仕込んだ基本的機能が成就しようとしている。今や彼女は、花開こうとしている、もうすぐ花を咲かせるだろう……。

 女性の見方は、とても自然だ。彼女は、自然の中で生きている。彼女は、男性より自然だ。インドでは、女性のことをプラクリティと呼んでいる。自然そのもの、大地、すべての自然の基本と。女性は、より自然だ。彼女の傾向や目的は、より自然なのだ。彼女は、決して不可能なことを求めたりしない。彼女は、可能なことを求める。男性は、つねに不可能を探し求めるものを内側に持っている。可能なことではけっして満足しない。単に満足した夫になることは、価値がない。女性は、とても満足した妻であり母親になれるなら、それで幸せだ。そのとき彼女の人生は満たされたものになる」

Osho, The Mustard Seed,18 より抜粋