Quantcast

About Meditation?  マインドと意識とは、ふたつの別々のものですか? それとも、静かなマインドが意識と呼ばれるものなのですか?

 マインドと意識とは、ふたつの別々のものですか? それとも、静かなマインドが意識と呼ばれるものなのですか?

<< Back

 それは場合による。あなたの定義しだいだ。しかし私に言わせれば、マインドはあなたに与えられた部分で、あなたのものではない。マインドは借りものを意味し、マインドは教化されたものを意味し、あなたの中に社会が浸透したものを意味する。意識はあなたの本質だ――マインドは社会や文化や教育によってあなたのまわりにつくられた、単なる周辺だ。

 マインドは条件づけを意味する。あなたはヒンドゥー教徒のマインドを持つことはできても、ヒンドゥー教徒の意識を持つことはできない。キリスト教徒のマインドを持つことはできても、キリスト教徒の意識を持つことはできない。意識はひとつだ――それは分類できない。多数の社会があり、多数の文化や宗教があるゆえに、多数のマインドがある。それぞれの文化、それぞれの社会が、異なったマインドをつくる。マインドは社会の副産物だ。そして、このマインドが消滅しない限り、あなたは内側に入ることはできない――何が本当にあなたの本質で、何が真正にあなたの存在で、あなたの意識なのか、知ることはできない。

 瞑想の中へと入って行く努力は、マインドに対する闘争だ。マインドは決して瞑想的ではなく、決して沈黙しない。だから、「静かなマインド」と言うのは意味がないし、ばかげている。それはちょうど、「健康的な病気」と言っているようなものだ。それはまるで意味をなさない。どうして、健康である病気がありえよう? 病気は病気だ。そして健康は、病気の不在だ。

 静かなマインドなどというものはない。沈黙があるとき、そこにマインドはない。マインドがあるとき、沈黙は存在しない。マインドはそれだけで妨害であり、病気だ。瞑想とは、ノーマインド(マインドのない)状態だ。静かなマインドの状態でもなければ、健康的なマインドや、集中しているマインドの状態でもない。違う。瞑想とは、ノーマインド――あなたの内側に社会がなく、あなたの内側に条件づけがない――という状態だ。あなたの純粋な意識とともに、ただ、あなたが在る。

 禅では言う――あなたの本来の顔を見つけ出しなさい、と。あなたが使っている顔は本来のものではない。それは、教化されている。それは、あなたの顔ではない――ただの見せかけ、ただの方便だ。あなたはたくさんの顔を持ち、瞬間ごとに顔を変える。あなたは顔を変え続ける。今では変えることがあまりにも自動的になってしまい、あなたはそれに注目もしなければ、気づきもしない。

 あなたが自分の使用人に会うとき、ボスに会うときとは違う顔をする。もし使用人が左側に座っていて、ボスが右側に座っているとしたら、あなたはふたつの顔を持つ。左の顔は使用人のため、右の顔はボスのためだ。あなたは同時にふたりの人間だ。使用人に対して、どうしてボスに向けるのと同じ顔ができるだろう? あなたの片方の目はある質を持ち、ある目つきをしている。もう一方の目は違った質を持ち、違う目つきだ。それはボスに向けてであり、もう一方は使用人に向けてだ。これがあまりにも自動的に、機械的に、ロボットのように起こるので、あなたは自分の顔を変え続け、多くの顔を持つ。そして、ただのひとつの顔も、本来のものではない。

 禅では言う――あなたの本来の顔、生まれる前に持っていた顔、あるいは、あなたが死ぬときに持つであろう顔を見つけ出しなさい。その本来の顔とは何だろう? 本来の顔とは、あなたの意識だ。その他の顔はすべて、あなたのマインドから来る。

 よく覚えておくがいい、あなたはひとつのマインドを持っているのではない――あなたはたくさんのマインドを持っている。誰もがひとつのマインドを持つ、という考えを忘れなさい。そうではなく、あなたはたくさんのマインドを持っている――群衆、多様なマインドを。あなたは多重精神だ。朝、あなたはあるマインドを持ち、昼過ぎには異なったマインドを持ち、夕方には更に異なったマインドを持つ。一瞬ごとに、あなたは異なったマインドを持っている。

 マインドは流動的だ――川のようで、流れ、変化している。意識は永遠で、ひとつだ。それは、朝と夕方で異なっているということはない。それは、あなたが生まれたときと死ぬときで、異なってはいない。それはひとつで、同じで、永遠だ。マインドは流動的だ。子どもは子どもらしいマインドを持ち、老人は老人らしいマインドを持つ――しかし、子どもも老人も同じ意識を持ち、それは決して子どもっぽくもなければ年老いてもいない。それはあり得ない。

 マインドは時間の中を動き、意識は時を越えて生きている。それらはひとつではない。しかし、私たちはマインドと同化している。私たちは言いつづけ、主張しつづける――「私のマインド。私はこのように考える。これが私の思考だ。これが私のイデオロギーだ」。マインドとのこの同一化によって、本当は自らがそうであるものを、あなたは逃している。

 マインドとのこれらの鎖を消滅させなさい。あなたのマインドはあなたのものではないことを、思い起こしなさい。それは他のひとたちによってあなたに与えられたものだ――両親、社会、大学などによって。それは与えられ続けて来た。それを投げ出しなさい。あなたがそうである、純然たる意識にとどまりなさい――純粋で、無垢な意識に。これが、ひとがどのようにマインドから瞑想へと動いて行くか、ということだ。これが、ひとがどのように社会から離れ、外側から内側へと動いていくか、ということだ。ひとがどのように人間のつくった世界、マーヤ(幻影)から宇宙の真実、存在へと動いていくか、ということだ。


Osho: The New Alchemy: To Turn You On, #10

<< Back