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About Meditation? 気づいているために、努力する必要がありますか?

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気づいていることは、努力するという問題ではない。もし気づきのために努力するなら、あなたは自分自身の内側に緊張をつくりだす――あらゆる努力は緊張をもたらす。もし気づきのために努力するなら、あなたは自分自身と戦っている――戦う必要などない。気づきとは、努力の副産物ではない。気づきとは、手放しであることの芳香だ。気づきとは、明けわたすことの、くつろぎの開花だ。

くつろいで、何もせずに、ただ静かに座る......すると、気づきは起こりはじめる。それは、どこかから引っぱり上げるものではないし、どこかから持って来るものでもない。それは、どこからともなくあなたに降り注ぐ。あなた自身の源の内側から湧きあがる。あなたはただ、静かに座っている。

しかし私には、質問しているあなたの問題が理解できる。静かに座ることは難しい――思考が絶え間なくやって来る。来るなら、来させなさい! 思考と戦うことはない。戦わなければ、あなたはなにもエネルギーを必要としない。ただ、来させなさい――あなたに何ができる? 雲が流れて来ては、去る――思考に来させ、いつでもそれらが去りたいときに去らせなさい。警戒してはいけない。来るべきとか来ないべきという、一定の態度であってはならない。批判的であってはならない。それらを来させ、去りたいときに去らせるがいい。あなたはまったく空っぽだ。思考が通り過ぎ、それが来ては去って行く。そしてゆっくり、ゆっくりと、それらが来ては去ることに、自分が心を乱されないままでいるのに気づくだろう。そしてあなたが、思考の行き来に影響されないとき、それらは消え始める、それらは蒸発する......。あなたの努力によってではなく、あなたの涼しさ、穏やかな空っぽさ、あなたのくつろいだ状態によってだ。

くつろぎが多大なエネルギーを必要とする、などとは言わないで欲しい。どうやってくつろぎが多大なエネルギーを必要とすることがあろうか? くつろぎとは単に、あなたがなにもしていないことを意味する。

静かに黙して座り、
何もしない、
春が来て、
草はひとりでに生える......。

このマントラを、あなたのハートに沈み込ませなさい。これは、瞑想のまさに本質だ!......静かに黙して座り、......何もしない、......春が来て、......そして草はひとりでに生える......。すべては起こっている! あなたはやり手ではない。

気づきをゴールにしてはいけない。そうすると、あなたは私の要点を逃してしまう。私はただ定義する。私は言う――意識的であることが徳で、無意識であることが罪だ。


Osho: Philosophia Perennis, Vol. 2, #4

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