Quantcast

About Meditation? マインドは、投げ出されなければならないのですか?

マインドは、投げ出されなければならないのですか?

<< Back

 あなたの身体から投げ出されるべきものは、何ひとつない――あらゆるものが変容され、併合されなければならない。マインドは醜くない。あなたの扱い方が醜いのだ。扱い方を変えなさい。マインドは醜くはない――あなたが、無意識なのだ。その馬車は美しい、金色の馬車だ。それなのに御者は酔っ払い、ぐっすり眠りこけている。そして彼は馬車をののしり、非難している。自分が溝にはまったとわかると、彼は馬をむち打ち、馬車を非難し、馬車の製作者を非難し、それが馬車の欠点でもなければ馬の失敗でもなく、馬車の製作者の過失でもないとは、決して思わない。それは彼自身の失敗だ。彼が酔っ払い、眠りこけていたからだ。馬車が溝にはまってしまうのは当然だ――全責任は、あなたにある。

 マインドを破壊するとか、投げ出すという問題ではない。マインドは美しいメカニズム(機械装置)、存在する最も美しいメカニズムだ。なのに、あなたはマインドの召使になってしまった。あなたが主人なのに、主人が召使の役をしている――マインドは召使なのに、あなたが召使を主人にしてしまった。

 ある昔話を、私は聞いたことがある。
 ある王様が、ひとりの召使にとても満足していた。彼は、王様に対して非常に献身的で、まったく全一に献身的だった――彼はいつも、王様のために自らの命を捧げる用意があった。王様は途方もなく満足していた。そしてその召使は、何度も自分自身の命を危険にさらしてまで王様を救った。彼は、王様の護衛だった。

 ある日、王様はとても幸福な気分で、その男と共にいた。そして言った、「もし何か欲しいものや、どんな望みでもあるなら、ただ私に言うがいい。それを満たしてやろう。おまえはあまりにもつくしてくれ、私は決して感謝を示しきれないし、それに報いられないほどだ。しかし今日は、何でもおまえの望みをかなえてやりたい」。

 召使は言った、「あなた様はすでに、あまりに多くのものを私に与えて下さっています。私はいつもあなたのおそばにいるだけで、あまりの幸福を承っています――何もいりません」。

 しかし、王様は主張した。召使が「何もいらない」と言えば言うほど、王様はせがんだ。ついに召使は言った、「それならよろしいです。24時間の間、あなた様が護衛になり、私を王にして下さい」。

 王様は少し心配し、ためらったが、彼は約束を守る人だったので、その欲望を満たそうとした。だから24時間の間、彼は護衛になり、護衛が王になった。そして護衛が何をしたと思うかね? 彼は最初に、王様を殺すようにと命令を下した。死刑だ!

 王様は言った、「何をするのだ?」
 護衛は言った、「だまれ! おまえは単なる護衛でしかない。それが私の望むところで、今や私が王だ!」
 王様は殺され、召使が永遠に王になった。

 召使には、マスターになるための、独自のよこしまな方法がある。
 マインドは、最も美しく、最も複雑で、最も発展したメカニズムのひとつだ。それはあなたの世話をよくして来たし、今でもよく世話している。その働きによって、あなたは人生の中で同じストーリーをくり返して来た。誰もが同じストーリーをくり返して来ている――あなたはマインドを主人にし、今、その主人はあなたをただの召使として扱っている。これが問題なのであって、マインドを投げ出さなければならないわけではない。

 そしてそれが、瞑想とは何なのか、ということのすべてだ――マインドから離れ、マインドの上位に立ち、マインドに対して超越的になり、「私はマインドではない」と知ることのアートだ。それは、マインドを投げ出さなければならないということではない。「私はマインドではない」と知ることは、あなたを再び主人にする。あなたはマインドを使うことができる。今のところ、マインドはあなたの手の内にはない。あなたは、よい御者ではない。


Osho: The Dhammapada: The Way of the Buddha, Vol. 6, #10



 マインドは拒絶されるべきでは、まったくない――もしあなたが拒絶すれば、マインドはそのままだろう。拒絶は抑圧を意味する。抑圧されたものは何であれ、あなたの元を去らない。それはただ、意識から無意識へ、あなたの存在の中の明るい場所から、あなたが直面できない暗い層へと移動する。あなたが忘れても、それは内側にあり、今までよりももっと活力的になる。敵に直面した方が、敵を背後に置くよりもいい――その方がはるかに危険だ。

 私は、マインドを拒絶するようにと言っているのではない。マインドは美しいメカニズムであり、存在の奇跡のひとつだ。ひとのマインドに匹敵するようなものを、我われはいまだにひとつも作れないままだ。最も精巧なコンピューターでさえ、とても比較にはならない。たったひとりの人間のマインドが、世界中のすべての図書館を収めることができる――その容量はほとんど無限だ。しかしそれは機械であり、あなたではない。それと同一化することは間違いだし、それを主人にすることも間違いなら、それによって導かれるのも間違いだ。しかし、あなたがマインドの主人になり、案内者になることは、完璧に正しい。召使としてのマインドには、途方もない価値がある。だから、それを拒絶してはいけない。それを拒絶することは、あなたを貧しくはするが、あなたを富ませてはくれないだろう。

 私はマインドに反対なのではない――それを超越することに賛成だ。そして、もしあなたが拒絶したら、超越するのは不可能だ。それを踏み石として使いなさい。それはすべて、あなた次第だ――もしマインドを拒絶し、否定し、破壊しなければならないと考え始めるなら、あなたはそれを障害にしてしまう。もしそれを受け容れるなら、理解しようとするなら、あなたはそれを踏み石にすることができる。理解しようとする、まさにその努力の中で、超越は起こる。あなたはそれを超え、観照者になる。


Osho: The Dhammapada: The Way of the Buddha, Vol. 9, #6

<< Back