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About Meditation? 努力なしの沈黙...

努力なしの沈黙...

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  すべての野生動物の中で誰がいちばん偉大かを決定する票決のため、ライオンが森中を歩いていた。カバと出会った時、彼は尋ねた、「森の王者は誰だ?」
「あなたです」と、カバは答えた。次に彼は、キリンに会った。
「森の王者は誰だ?」と、彼は尋ねた。
「あなたです」と、キリンは言った。次に彼は、象に会った。ライオンは彼のひざをとんとんと叩き、そして言った、「森の王者は誰だ?」
象は鼻でライオンを持ち上げ、木に向かって放り投げた。ライオンはすべり落ち、毛並みをととのえてからこう言った、「正しい答えをただ知らないだけで、そんなに興奮するべきではないよ。」


 ビマール、不幸なことに私は正しい答えを知っている。私はあなたに逆上したりしないが、あなたがどの点で間違っていてどの点で正しいか、確かにあなたに言うつもりだ。

 最初に、これらの講話で私とともに座ることは、あなたの中にもっともっと瞑想性をつくりだすこと以外の、何ものでもない。私は何かを教えるために話しているのではない。何かを創造するために話す。これらは講義ではない。これらは、あなたが沈黙するための単なる方便だ。なぜなら、もしあなたがどんな努力もなしに沈黙するようにと言われたら、とても困難に感じるからだ。

 それが、禅マスターが弟子に言い続けていることだ。「沈黙しなさい。でも、どんな努力もしないように」
 今、その人は非常に困難な状況に置かれている。どんな努力もしてはいけない、そして沈黙しなさい......。もし何らかの努力をしたなら、彼は間違っている――そして、どんな努力もなしに沈黙する方法などない。もしどんな努力もなしに沈黙することが可能だったら、どんなマスターも必要なかったし、瞑想を教えることの必要性もなかっただろう。人々は何の努力もなく、沈黙に落ちただろうから。

 私は、できる限り深く禅の努力を研究した。ボーディーダルマ以来ほとんど14世紀もの間、彼らは働き続けている。彼らはこの世のもっとも偉大なグループのひとつであり、完全にひとつのことに献身してきた。それが、瞑想だ。こんなに長いこと絶え間なく行なわれてきた試みは、どこにも他には存在しない。しかしそれでもなお、禅マスターはそれほど多くは存在しない。

 確かに禅の流れには、この世の他のどんな流れよりも多いマスターがいる。しかしそれでも、働き続けてきた人々の数に比べれば、それはとても少ない。私は、何が基本的な間違いなのかを探し続けてきた――そして、これが基本的な間違いだ、ビマール。それらの禅マスターは正しいことを教えたが、正しいやり方ではなかった、ということだ。私はあなたに、あなたの側からの何の努力もない沈黙に気づかせようとしている。あなたの内側に沈黙をつくりだすための策略として、私は話すことを初めて使っている。

 これは教えや、主義や、信条ではない。だからこそ、私は何でも言うことができる。何かを話すことに関する限り、今まで存在した人々のなかで私は最も自由な人間だ。私はひと晩に、100回も矛盾したことが言える。なぜならそれはスピーチではないので、首尾一貫する必要がないからだ。それはまったく違うもので、とほうもなく異なった試みが続いていることを世界が認めるには、時間がかかるだろう。

 ただほんの一瞬、私が沈黙するとき、あなたは沈黙する......そこにあるのは、ただ純粋に待つことだけだ。あなたは何も努力していない。私も何も努力していない。私は話すのを楽しんでいる。それは努力ではない。

 私は、あなたが沈黙するのを見ることを愛している。
 私は、あなたが笑うのを見ることを愛している。
 私は、あなたが踊るのを見ることを愛している。
 しかし、すべてのこれらの行為の基本は、瞑想にとどまる。

Satyam Shivam Sundram, #28

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