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OSHO Times The Other: Myself 当て逃げのメンタリティーを超えて

当て逃げのメンタリティーを超えて

 Osho, 一緒にいる女性に関しての恐れがあります。私は、彼女を失うのを恐れています……そしてそのことが、私に深い関係性を持つことを許してくれません。私はひとりになるのを怖がっている、というようなことではないでしょうか。

 いいや、恐れずに、より深く入っていくがいい。それは起こるだろう、なぜならあなたが中心にあればあるほど、もっとくつろぐようになり、関係性に深く入っていく可能性は大きくなるからだ。

 実際、関係性に入るのはあなただ。あなたがそこにいることもなく、緊張し、縮み上がり、心配して分裂していたら、だれが深く入っていくというのか? 私たちは自らが分裂しているために、関係性により深く足を踏み入れることを、深い層に入ることを、本当に恐れている。なぜならその時、私たちの現実があらわになるからだ。その時あなたはハートを開かなければならないが、あなたのハートは断片にすぎない。あなたの内側にはひとりのひとがいるのではない――あなたは群集だ。もしあなたが本当に女性を愛していて、自らのハートを開くなら、彼女は、あなたが大衆であって一個人ではないと思うだろう――それが恐怖なのだ。だからこそ人びとは、うわべだけの恋愛を続ける。彼らは深く入っていきたくはない――ただの当て逃げ、ただ表面に触れて、何であれ深い関わりになる前に逃げてしまう。その時あなたはただセックスができるだけで、そしてそれも、貧しいセックスだ。単に表面的だ。ただ境界だけが出会うが、それはまったく愛ではない……身体の発散、カタルシスかもしれないが、それ以上ではない。

 恐怖は、今あなたがより深く入っていきたいということだ。彼女が失われるかもしれない、ということではない。あなたは恐れて、おじけづいている。関係がそれほど接近せず、それほど親密ではないなら、私たちは容易に仮面をかぶることができる――社会的な顔がうまく機能する。そうしたら、自分にとって本当は笑う必要がないのに笑う時も、ただ仮面が笑ってくれる。

 あなたが本当に深く入っていきたいなら、その時には危険がある。あなたはありのままでいなければならない――そしてありのままというのは、内側のあらゆる問題を相手に知られるということだ。あなたがイメージを持てない時、あなたの現実はあらわで傷つきやすい。それが恐怖を引き起こす。しかし私たちは自分をだまし続けて、それを恐れているのではなく女性が去るかもしれないことを恐れているのだ、と言い続ける。女性が去ることが恐怖なのではない。実際あなたは深いところで、女性が去るのを待っているかもしれない。そうすれば、関係により深く入っていくことの面倒はないからだ。

 深く入っていきなさい。誰も道を妨げてはいない。ここでのグループや瞑想は、あなたを助けるだろう。そしてすぐにあなたには可能になる。もしあなたがいるなら、愛する誰かをいつでも見つけることができる。あなたがいないなら、肉体的な存在であるだけの誰か別のひとがいるのかもしれない。そしてそれは無意味だ、あなたは相変わらずひとりのままだからだ。

 カップルを、結婚して何年も経っている人びとを見に行くがいい。彼らは孤独な生を送り、独りで生きている。彼らは決して一緒だったことはなく、どのように互いを避けるか、どのように相手から逃れるかについてのあらゆる手を学んできている。夫は妻に「愛してるよ」と言い、キスをして、あらゆることをする。しかしこれらはただ避けるためであって、深く入っていくためではない。

 恐れることはない……ただジャンプするがいい!

Osho, Above All, Don’t Wobble, Talk #7

 

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