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Osho Osho On Topics 瞑想による剣の道

瞑想による剣の道

 日本では、瞑想的になるために奇妙なものを開発した……。日本は人類に対して偉大な業績を残した。瞑想はインドで確立したが、ひじょうに限られた現象にとどまった。蓮華座に坐って自分の思考を目撃して沈黙する。瞑想はその目的を果たしたが、日本は別の次元、奇妙な次元を試みた。瞑想による剣の道だ。命がけの対決に臨むふたりの剣士は、緊張、恐怖、怒り、復讐心から解かれて、遊び心をもって自らの内側のセンターにとどまらなければならない。
 観衆にとっては生と死でも、ふたりの瞑想者にとっては遊びだ。そして、不思議なことが何度も目撃された。双方が瞑想的に同じ深みにあるときは、誰も勝たず誰も殺されることはない。一方が相手を斬ろうとして剣を上げる前に、それを行なう前に、その想念が相手に伝わるだけで、相手は自分の剣で自分を守ることができる。
 どちらが勝者であるかを宣言することは不可能だ。通常は、剣道と瞑想、合気道と瞑想、柔術と瞑想、レスリングと瞑想をいっしょに考えることは難しい。だが、日本ではあらゆる次元が試みられた。そして、彼らはなにをやっていても関係ないということを見いだした。大切なことは、「中心にいる」ということだ。あなたが中心にいるなら、なにをやっても緊張が生まれることはない。くつろいでいる状態は変わらない。
 だから、プッシュすることを気にする必要はない。ただ、私たちはこの広大な宇宙に比べてあまりにも小さく、私たちが行なうこと、または行なわないことは存在になんの影響も与えないということを理解するがいい。それについて深刻になる必要はない。私がここにいなかったときも存在はありつづけ、私がここにいなくなっても存在はありつづける。私は自分を深刻に受け止めるべきではない。
 自分を深刻にとらえないことが、瞑想者の根本的な理解だ。そうすれば、くつろぎはおのずと訪れる。そして、くつろぎと共にあなたにとって自然なことは残り、あなたにとって自然でないことはおのずと落ちてゆく。