Quantcast

Osho Osho On Topics 生と死

生と死

 夜のあいだに雨が降った。湿り気がいまも残り、大地からは芳香が放たれている。太陽は高く昇り、牛の群が森へと向かっている。牛たちの首にかけてある木製の鈴が優しい音を奏でる。しばらくのあいだ、私はその音を聴いている。もう、牛たちは遥か遠くに行ってしまい、チリンチリンと鳴る鈴の音の、かすかなこだまだけが残っている。
 ところで、数人の人たちが私に会いに来た。彼らはたずねている。「死とはなんですか?」
 私は言う。「私たちは生を知らない。だからこそ、死がある。自己を忘れてしまうことが死だ。さもなければ、死はなく、あるのは変化だけだ」
 自己を知らずに、私たちは幻の自己をつくりあげてきた。そして、それが、私たちの「私」、自我だ。それは、そこにはない。そこにあるように見えるだけだ。粉々になるのは、この偽りの物だけだ。それが粉々になると、惨めさが生じる。というのも、私たちは、それと自分とを同じものと思い込んでいるからだ。
 生きているあいだにこの偽りを悟ることが、死から救われることだ。生を知れば、死は終わりになる。そこにあるもの、それが不死なるものだ。それを知ることが、永遠の、永久の生を達成することだ。
 昨日、私は、集まりで同じことを言った。
 自己を知ることが生。
 自己を忘れることが死。