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Osho Osho On Topics 愛のなかに我を失う

愛のなかに我を失う

 私は朝の散歩から家に帰る途中だった。川の岸辺で、私は小さな泉と出くわした。自分の進む道から枯葉を押し流し、細い流れは川に向かってほとばしっていた。私は、その大急ぎと、川とのその至福に満ちた融合を見たのだ。それから、その川もまた急いでいるのを私は見た。
 そうして、私には、あらゆるものが急いでいるのだということがわかった——海と出会うために、無限なるもののなかへと失われていくために、完全さ、成就を達成するために、枯れた、死んでしまった葉を自分の道からわきに払いのけながら。
 水のしずくは、海と融合することに憧れている。この憧れは、生の根源的なものだ。私たちのあらゆる奮闘は、この切望から生じ、それを成就することで、ほんとうの喜びがもたらされる。限りがあるということは、悲しみがあるということだ。不完全だということは、悲しみがあるということだ。限りあるために、不完全であるために、生は死で終わる。それらがなければ、生は不滅だ。それらがあるために、生は粉々に砕け散っている。それらがなければ、生は分かれていない全体になる。
 だが、人間は、エゴという小さなしずくとして止まってしまい、そこで、生の尽きることのない流れから切り離されてしまう。このようにして、人間は自分の自由意志で太陽の光を断念し、世俗のランプのかすかな光のなかに成就を見いだそうと、無駄な努力をする。だが、満足は見いだせない。というのも、一滴のしずくが、しずくにすぎないままとどまることに、どうして満足できるかね? 海になる以外に答えはない。しずくにとっては、海がゴールだ——海になるしかない。しずくが消えることは、絶対に必要なこと。エゴを壊すことは、絶対に必要なことだ。エゴがブラフマンになるとき、そのとき初めて、成就がありうる。
 人を真理に確立させるのは、海であるという、この成就だけだ。そして、この成就だけで、解放がもたらされる。というのも、成就していない人が、どうやって解放されうるかね?
 イエス・キリストは言っている。「自分の命を救おうとする者はそれを失い、それを失う者は、それを達成する」
 私も同じことを言おう。これだけで愛だ。自己を失うことが愛だ。愛のなかで死を受け容れることが、神の生を達成する道だ。
 だからこそ、私はこう言う。「しずくたちよ、海に向けて急ぐがいい! あなたがたの終着点は海だけだ。愛のなかで、喜んで死を受け容れるがいい。それだけが生だからだ。海に行き着く前に止まるのは、死に絶えるということだ。だが、海に行き着くことは、死を超越することだ」